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震災から2年~息子を慰めてくれたトミカたち

震災、そして原発事故から2年の歳月が流れました。お亡くなりになった方達のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い被災地の復興、そして原発事故の収束を願ってやみません。

震災の時、息子は4歳でした。私は帰宅難民になり、家族と連絡が取れないまま、同僚達と休憩も取らずに歩き通して帰宅しました。そして、原発事故と放射能汚染を知りました。

事故の詳細が判らず、とにかくまだ4歳の息子を避難させようと神戸の実家に連れて行きました。父母に息子を託して私は関東に戻り仕事を続け、毎週末に息子に会いに行く生活を1ヶ月続けました。

実家にいる赤ちゃんのお人形をお世話する息子。お兄ちゃんになった気持ちで頑張っていたのかも。
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靴下を穿かせるのに手間取って、「もう~ややこしちゃんですねぇ」なんて言っていたそう。
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神戸の実家にもたくさんのトミカが置いてあったのですが、息子が電話で「トミカが足りないの」と言ってきて、急いで愛用のトミカや踏切などを箱詰めして送りました。
息子は毎日たくさんのトミカを走らせて遊んでいたそうです。
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当時息子が撮影した写真。大きく写すと本物の車のようです。
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大好きなトミカたちが、初めて親から離れて生活した息子の寂しさを癒やしてくれたのでしょう。

2年経って、息子に「あのとき寂しかった?」と聞いてみたら、
「ママが毎週来てたねぇ。毎日トミカで遊んでたよ。(寂しかったことは)もう覚えてないよ。」と答えました。

あのとき神戸に旅したトミカ達、一緒にいてあげられなかった私たちの代わりに息子の側にいてくれたトミカ達は、今でも息子の大切な友達です。

by ma-puana | 2013-03-11 23:07 | 乗り物